伊福部昭 「シンフォニア・タプカーラ 第三楽章」

 
コレを書くために、今日第三楽章4回、第一楽章2回聴いたよ。
30分をゆうに越えてますね。
通学の車内とはいえ気合はいってる(苦笑)


またわけのわからない音楽を出してきて…と思った方は、
こちらをどーぞ。


http://www.youtube.com/watch?v=XoBb2tKnr0I


ええと、伊福部さんは、数日前の繰り替えしになるけど、ゴジラの人ですね。
この間の第一楽章の時は、12分間待てば、最後に「ゼルダの伝説時のオカリナ」の「迷いの森」が一瞬出てくるよ!って触れ込んだんでしたっけ。


第三楽章は、とにかくインパクトでしょう。
最初のメインフレーズから、最後の圧倒的盛り上がりまで。
途中わずかにでてくるバイオリンだけのところは素敵。


完全五度って、民族系なんですよね。
この曲の中でも「レ・ラ」が何度も出てきます。
動画開始10秒地点のメインフレーズも、だいたい乗っかってるのは「レ・ラ」ですよね。


あと民族らしさを持つのは、突然の強拍、変拍子の連続、オーボエ、フルートなどの木管楽器の組み合わせでしょうか。


日本のポップス曲、吹奏楽曲の中によくあるのが、
「どこをとっても輝こうとする音楽」
だと思うんですよ。Aメロ、Bメロにも、ほら!かっこいいだろう!みたいのいれて。
J-popはともかく、吹奏楽の例だと、「たなばた」とか。なんかわからない?
これAタイプ。


対して、クラシック曲、西洋の曲にたまにあるのが、
「一瞬の輝きのために、静脈がウエイトを占める音楽」
だと思います。だってクラシックでインパクトに残ってるフレーズ、ひとつかふたつでしょう?一瞬の世界ですよ。後は混沌だったり、静脈だったり、カオスだったり。
これBタイプ。


じゃあ民族音楽、舞曲とかは何なんだろう、と思うと、
「自らは輝こうとせず、あるべくしてある音楽」かなぁ、と思うんです。
踊りは、それ自体民族として要請されたものだった、って側面もあるでしょう。
生きるための副産物として、踊り、踊りに関する曲が、土地や民族性を反映して。
だから、常に、熱い。底流が、熱い。
これCタイプ♪


いま日本人が普通に触れる音楽は、A80パーセント B17パーセント C3パーセントくらいだと思いません?
だから僕Cタイプ好きなんだよね。Aが嫌いなわけじゃもちろんないけど。
最近、舞曲系をいっぱい調べてきたから、ぼつぼつここで書きますけど、これから。


「タプカーラ」っていうのは、アイヌ語で、「立って踊る」って意味なんだそうだ。
北海道らしさも、民族らしさも、立って踊るもどの要素も入っているよね。


まあ、こんなのは元からすきなのかもね。
この曲に出会う以前だけど…
どこかに共通点ない?いや、僕のほうが明らかにしょぼいけどw
Itcha 『Japanestival』
http://itcha-myu.hp.infoseek.co.jp/Japanestivalhigh.mp3





ところで、伊福部さんは、明治以降の、日本にあった「西洋音楽中心の教育」のなかで
あまりにも日本的、土俗的すぎて、ハジかれた時期が長くあって、
日本人よりむしろ外国人に評価されてきたりしました。


そうあった伊福部さんの音楽を再評価した学者の一人が…
片山杜秀先生といって…
先週近代思想史と政治学のガイダンスを受けたばかりの…