ムソルグスキー 「展覧会の絵」

ある意味クラシック界のスターですね。
曲の出だしは知ってる人が多いんじゃないでしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=k_98452AxFI&feature=related
僕の携帯にもプリインストールに入っています。
あ、動画は最初だけ聴いたら閉じちゃって良いです。
長い曲だしw



さぁてまず…
TBS系の夜の番組、「ナニコレ珍百景
ご存知でしょうか。
ボーっと見てるのに耐えうる、少し面白い映像がくるくる出てきます。
なんだかねぇ、意味を考えたくなるような。
好きなんですよねぇ…w
僕が夜の番組を時たまでも見てるって珍しいことなんだけれども。


で、珍百景のタイトルが出るでしょう?
それから、土地の紹介があって、(さしたる紹介がない地区だと取ってつけたようになってるw)
で、引き気味のカメラが、徐々にズームしていって問題の珍百景を写す。


そこで使われているあの音楽。
知ってる人は想像してみてください。あれですあれ。


長々とわたる「展覧会の絵」の、最後の最大の盛り上がりのシーン、
楽章でいうと、「キエフの大門」ってところなんですね。


まあ、テレビがキッカケだとしましょう。
じゃあ、そのテレビで流れてた一瞬だけからこの曲を判断してみようとします。
ストリングスとラッパ系で、小さい波の混沌が作られたあと、
豊かでかっこよくて大きなメロディが、
ブラスの和音と共に鳴り響く。
ああ、なんて壮大な曲なんだろう!



…みたいな。
でも、調べていくと、「キエフの大門」だけでも意外なことがわかったりします。


ながーい曲です。でも、キッカケはなんであれ、
一部分や、一楽章だけピックアップ、なんてことをすると、
意外と身近に感じられるものです、クラシックってのは。
般教の石多先生も言ってたよ。(僕はその授業抽選落ちたけどwww)



一番の聴き所の、後半4分の1の演奏動画を。
これは是非最後まで聴いてみて下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=U-JjNJAkBZc&feature=related
最初はバーバ・ヤーガっていう面白い章。
変な打楽器が回った後、2分58秒からが、最終章、今回のターゲットである「キエフの大門」です。
さらに、さっきから言ってる珍百景の部分は7分5秒から。




僕は最近、この曲をピアノコンサートで聴きました。
そんで、その後何回かmp3プレイヤーで、
ラヴェル編曲版のオーケストラを聴きました。
知られていませんが原曲はムソルグスキーがピアノで作曲したものです。
ピアノなのに、本当にいろんな表現が出てきて、飽きません。
曲の場所は、ロシアですね。


現在ではあまたの編曲があり、有名なこの曲。
作曲家存命中は、実は一度も演奏されませんでした。
この曲を持ち上げたのは、
リムスキー=コルサコフであり、ラヴェルであるわけなんです。



彼の友人ハルトマンって人で、「展覧会の絵」っていうのは、このが書いた絵のことなんだそうです。
↓参考:ハルトマンの「キエフの大門」↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:HartmannKievGate.jpg



ここからがちょっと意外かも、なんだけど
ハルトマンはムソルグスキーの唯一といっていい友人でした。
その友人が死にました。展覧会は遺作展だったのです。
ムソルグスキーは自暴自棄になって、わずか2週間でこの曲を書き上げました。




友人が死んだという状況で書かれたんだ、この曲は。
それで、あの珍百景のところの「大きさ」と「広さ」と「明るさ」と「壮大さ」と「豊かさ」はなんなんだろう、と。一般の「死」という感情と、矛盾じゃん?と。
作曲家の本心が出ているのだろうか?と、すごーく僕は疑問に思ったわけです。
あそこだけ聴いたら、彼の友達が晴れの展覧会の舞台で、
立派な作品を発表し、人々は大いに感動しました!(はぁと)ってなりそうじゃない!?
そのギャップがあまりにもでっかいんじゃないかと思って、
考えてみたくなったんです。これが本日の問い。


ピアノのコンサートで、演奏者の女の人は、曲紹介で、
「この曲は彼の、唯一無二の友人に対するレクイエムなんだと思います」
とまで言っています。
キエフの大門」に頻出する鐘の音は、教会の鐘だそうです。
(原曲では、ピアノで表現されていたわけだけれども。)
また、前の楽章には、「カタコンベ」という章もあり、
死を連想させる暗い部分もたくさんあります。


でもでも、最終楽章でこれですよ?
壮大な、あまりのかっこよさ。
これじゃあ、その暗い、鎮魂のメッセージ、隠れてしまっているような…と。


ところで。
最初の有名な、最初の部分のメインテーマ。あれは実は展覧会の、絵と絵との間を「歩いています」っていう表現なんですよ。「プロムナード」っていう、曲中何度も出てくる間奏曲。
しかし、あのメロディが、全くの裏返し、短調になって出てくるシーンが何回かあります。


普通の長調の曲は、たいていすぐにフラットやシャープをいじって短調にできます。
でも、どっかしっくりこない短調になるんですよ。
たとえば大塚愛の…「さくらんぼ」あたりを
ト長調からト短調に変えてみてください。
部分的にはなんかわかるかもしれないけど、
トコトン「滑稽」ですよ。


ところが、この「プロムナード」の裏返しの短調の部分は、
あ、名前ついてるみたいで「死者と共に死者の言葉で」っていうんですけど、
ほんとうに綺麗で、微塵の「滑稽さ」もないんですよ。納得しちゃいます。
曲としてはカタコンベの後、バーバヤーガの前に入るのかな、
動画はパート3の最後です。


章のタイトル的にも、ここの部分はこの曲を創ったモチベーションかもしれません。


で、今日は主に「キエフの大門」なので、ここは紹介にとどめて。
でも、最終章にも一瞬、彼の本心が出てくるような気がします。
さっきの動画(パート4)の5分17秒から、一瞬落ち着いた、暗いシーン。
その後のゆったりな、音量小さめなシーン。
これらは、どことなくキリスト教的だと思いませんか?祈りのシーンとも読めます。
ここ、本当に隠れていて穴場ですが(前後が壮大すぎる!)重要だと思います。
あと、最後の終わり方にも、「祈り」がこもっています。


じゃあ最後に、彼が言いたかったのはあくまで「祈り」であって、
あの「壮大で」「豊かな」あの部分は、彼の本心ではないのか。
友達が死んで、悲しくて、でも空元気で作曲したのか。


そんなことはないと思いますね。もちろん本心でしょう。
曲の最大のハイライトですから。
あの、単純なメロディと和音のなかに、もちろん祈りは入っているだろうし、
もしかしたら「明るく送り出す」意味もあったかもしれないし、
「夢・理想」みたいな意味があったかもしれないし(絵の大門は、コンテストに受かったけど結局完成されなかった)、「友情」みたいな意味もあったかもしれない。「空」かもしれない。
もちろんムソルグスキーさんに聞かなければこんな意味わからないけど…



ちなみに。涙をこらえた、本当の大人の別れのシーンみたいな気がして、僕はマジで泣けてきます。



この曲に矛盾はないでしょう。心からの音楽じゃないかな。
本日の答え。




と。ここまで書きまくって気づく。




珍百景のBGMで、泣けてくる。



大いなる矛盾だっ!
あんな深夜番組の爆笑映像なのにっ!




そ、そう。それほど、マッチしたBGMを使っているなぁと思うわけです(違)




あ、怒りの珍百景も面白いんだよ!