【第1回】H2Oのげーじゅつ *PC推奨
それでは第1発目。自分でお膳立てして自分から始まるのはなんというか…

自分で組み立てたのだから、とりあえずなんか書かないと。
で、連載とかいう形式を取ったのだから、僕は雑誌のコラムみたいな形式で行きます。

そしてなんか最後に問題提起をするんで、コメント欄で盛り上がってください(←無理)

しかも、今日もうすでにブログにガシガシ書いてしまってるから頭はたらきません…
ブログ、デザイン変えたよ。
こっちでもこれ以上にまにあっく☆に語ってるんで、
僕の文章で吐き気がしない方(希少)はぜひw
http://d.hatena.ne.jp/Itcha/
↑*これもPC推奨。

H2Oって、なんだかどこぞの18禁ゲームもこんな名前のようだが…
僕が言いたいのは単に平成20年ってことです。
音楽と本読むこと以外はなかなかに素人ですが、失敗したら水に流せばいいだろうっていう逃げ要素も入ったコラム名です。

古代からの連綿と続く「芸術!」っていう学問領域に首を突っ込んで、
首をちょん切られるつもりもありません。そういう役に立つけどめんどうくさい芸術は、日吉の先生に聴きに行ってください。

適当に6回くらい書く予定で、テスト中は知らないw


第1回。
ニコニコ動画って、まさに芸術るねっさーんすなんですよ。
今日は東浩紀にかなり頼っているけれど。


例えば音楽。
レコードが出来る前、音楽聴こうと思ったら、楽士をよんで、
高いお金を払って、バイオリン4重奏なりをしてもらって。
まさに髭男爵の世界でしかありえない世界だったわけです。
が、演奏が終わった後、直接、呼んだ4人とお話できるし、
今日の感想は…とかいって、集まったみんなと議論する場もそこにあったわけです。

レコードやらカセットやらCDやらってのは、
そうした音楽をコンパクトにして、簡単に演奏が手に入った。
誰でも気軽に、ただし孤独に聴くものに変わりました。

いまの電車内。イヤホンなりヘッドホンなりしてる人たちが増えてきたけど、
あれは全員個別化された世界に住んでいるわけで、
なかなかおかしなおもしろい現象でしょう。だれも聞いてる瞬間は感想や同意を求めていないじゃない?

それに対しニコニコ動画は、流れるコメントっていう性質から、
演奏者と視聴者みんながある1点、例えば1分11秒っていう時間を共有しているわけ。それは時差があっても、見ている実際の時間が違っても同じ。
そこだけに時間が固定化されているわけで、流動的なテレビ・ラジオ、さらにはyoutubeにはなかった機能。
そこに、レコード以前の「感想・談話」や、「演奏者との交流」が生まれるわけで…
これは楽士を呼ばざるを得なかった時代と実は同じ。
こういった音楽の形を取り戻したともいえる。
だからるねっさーんす

このふたつは大いに創作者サイドのモチベーションアップにつながり、
次々と良い作品を生んでいくんじゃないかなと思います。

これが「神動画」続出の循環のひとつの要因じゃないかな。
昔、FLASH全盛期でもこれほどまでの盛り上がりはなかったと思う。
動画愛好者の間だけで、って枠をなかなか超えられなかったんじゃないかな。
ま、「演奏してみた」と「ダンシングおにぎり」どちらが大きな波だったかって…
(僕ら的には「ダンシングおにぎり」は大事だったんだっ!)

こうした「感想・談話」機能と「制作者とつながる」機能が、音楽に限らず、
例えばMADだって、ネタ動画だって重要になってくると思う。
例えば「突っ込みどころ」をちりばめている動画。
アニメの世界だったら昔からあったみたいだけど、(パロってるとことか)
昭和なら、話題になってもせいぜい明日の学校。
H20のニコ動ならその場で一斉にツッコミが入るじゃない。
「同時性」も利用しないといけない。

今日3つ要素持ってきた。
「感想・談話」機能、「制作者とつながる」機能、「同時性」機能。
見る側もそうだけど、創る側がこれをさらに意識したらいっそう好循環になると思わなーい?
これ以外にももちろん要素いろいろあるけど…普通に技術の進歩とか…

↓同意?不同意?たとえば他に要素ある?↓

今後廃れるかどうかは分らないけど、とにかく今の波はすごいね。
「いま、何かをするなら動画だよね」
って、12月ごろ日吉のマックでのぽち氏の発言。
単なるニコ中or先見の明がある人種か。

ニコ動でムーブメントが起こる要因、とても全部は語りつくせていませんがこんなところで月曜どうでしょう?

飛べ!Continue!



【第2回】H2Oのげーじゅつ *PC推奨、猛烈に
2週目。みなさん軌道に乗ってきた?
思った以上のみなさんの「食いつきのよさ」に感謝してますw
「委員会報」を月一で作ることにしました。6月末、ご期待ください。
では長々となりますから早速本文go!


H20 News #2 Perfumeのヒット


Perfume初音ミクを比較します。
ええと、これのめっちゃふざけたバージョンを箱根でぽち氏と初対面の人に講義したんだが、覚えてないよね☆
曲はなんでもいいんだけど、例えばこの2曲で勝負!
Perfumeポリリズム
http://jp.youtube.com/watch?v=uDPVFxb9Pwc
初音ミク「メルト」
http://jp.youtube.com/watch?v=m4jkxXyCBgs

まず、誤解のないように…
どちらが良いかという議論は意味をなしません。
それから、曲だけ見ると、ジャンルも違うしぜんぜん違いますから…

そいでは本編スタート。
今日の両者の比較は、「人間とは何なのか」を探る壮大な旅路です(嘘)

昨年のクリスマスくらい、初音ミク、もう滅茶苦茶流行ってましたね。コンピュータミュージック界大震撼の事件でした。ちょっと地位が上がったよwDTMerも。midi、着メロの流れが止まってからだいぶ静まってたからね。
それにちょっと遅れて流行ったのが、Perfume。全国津々浦々のブログを歩んでみましたが、Perfumeをはじめて聴いたとき、初音ミクと似ている!という感想を持った人が多いようです。
確かにちょっと似てると思わない?
では、それがなぜか考えてみたいと思います。
ここで大いに図を書きたいんだが…チョーク…黒板…
僕はこんな構図が思い浮かびました。

人間界:Perfume →近づこうとする→ロボット界
ロボット界:ミク→近づこうとする→人間界

言い方はいろいろあるだろうけれど、綺麗なまでに相似形だと思います。
別の言い方。
人間性の中に電子的なものを見つけようとする∽電子的な世界の中に人間性を付与しようとする
これは反対にしただけで、そっくりじゃない?
両者ともこの中間点を模索しようとする、「ほぼ同時に起こった」新しいムーブメントといえます。

その裏づけみたいなところを羅列してみます。

ミクさんについてはみんなそれなりに知ってるでしょう。
ちょっとでも自然に歌わせようとする、「感情を与える」職人の努力は涙ぐましいものがあります。DTMマガジンすごいですよ?「わたしは」っていうのがミク苦手なんですね?その克服に1ページ割いてましたよ。

では、ここでちょっとPerfumeについて予備知識を。
DTMマガジンなんかで常連の、一部の人には有名なプロデューサー、中田ヤスタカっていう人が曲を提供しています。コンピュータミュージックについて、もはや権威といえます。この人がPerfumeを大いにコントロール(もしや調教?)しているといえます。(尚、Perfume以外にも曲を提供している。)これはDTMの延長であって、僕らの世界でも余程スキルがあったら真似できます。ヤスタカ氏が使ってるソフトも、僕どうにか操作法分かるし。
Perfumeのレコーディングは、椅子にまっすぐ座って、ぴんとした姿勢で、できるだけ気持ちを入れないで歌うんだそうです。(出典:トップランナー)
絢香にしても、吉幾三にしても、そんな歌い方をした人は過去にいません。ってか歌えません。
「感情を排す」というのはキーワードね。

Perfumeは独特の振り付けで踊りますよね?かくかくしてたり。でも、ミクだって踊っています。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1571507
これにはびっくりしました。これがパソコンさえあれば創れてしまう世の中です。表面的に捉えれば、Perfumeもこの架空アイドルも同じことしてます。こうして踊っていることや、ファン層の面からしても、両者とも「アイドル」といえることは共通していえます。モー娘。路線の、大昔からあるアイドル像の一種かもしれません。
   
あと、両者ともエフェクト(音にかけるいろんな効果。)が非常に大事です。結局中間点に向かってどうエフェクトをかけるかみたいなところがこの電子的・人間的の距離感を決めるのかもしれません。そのために、機材がどう発展していくのかは両者とも今後を左右します。
   

ところで、新しいジャンルはいつも中間点から生まれます。
(例:mihimaruGTのHip-Pop)
今まで誰も見つからなかったところがこの半年でぐぐっと見つかりましたよ?
ちょうど逆側から似たところを突っついた両者ですが…
今までは大体共通点を述べました。相違点は?
突っ込み感覚で羅列します。しかしそれが人間と非人間というように徹底的に違うはずなのに、意外と少ないし、わずかな差なんです。

1.ミク側は誰でも使えるが、Perfumeはヤスタカさん占有である。
→たぶんこれが一番大きな違いじゃないかな。共通して使えるボーカルさんって、たぶん今まで大学のサークル規模でしかなかったはず。共有できる、そういった意味での音楽史的存在としも重要?ミクさん?前回のニコ動論ともつながるけど、この「手軽さ身近さ」も音楽史上初。
2.Perfumeは3人。ミクとリンで、まだ2人
→でも、ボーカロイドはこれから数が増えるでしょうPerfumeは増える?
3.Perfumeはスタジオでしゃべってる。
→んー…AI機能搭載してるのかな…?ミクも時たま喋るが…口下手?
4.Perfumeはこのスタイルで歌う前、ちゃんと専門学校に通ってる。(人間の歌い方も出来る←失礼っ!)
→ミクは本質的に人間の歌い方を知らない。並べて聴いたときPerfumeのほうが「まだJ-popに似てる」というのはこのため。
5.「死んでしまうわ!」→ミクは叫べるけど、安全を優先するJ-popでは叫べない。
アブナイ歌詞は、もっとあるべきでしょう。恋愛より先に生死の話題(自殺とか)が来たって詩や文学史の上ではむしろ普通。でも文学者の病み具合にかかわると「アブナイ」からJ-popはそれをしない。結果、J-popの歌詞は恋愛まみれ。椎名林檎さんあたりなら叫んでも違和感ないか?(違)

「粗探し」のように探してもこれくらいじゃないかなぁ、他にあるかな?
驚くほど、共通点が多く、相違点が少ないと思います。
人間の人間たる由縁は?みたいなところが、この分野に限ってはいい意味でミクに大いに侵食されています。なんだか演劇になりそうな価値観の違い。

僕は、この新ジャンルの発展に大いに期待しています。
「ジャンル模索」の時代はもう終わったと思うので、次からはどんどん多様性のなかでジャンルへの定義づけが行われていくでしょう。
そのために、「ブーム」に終わらないことが必要。ボーカロイドの種類増加など機材面の充実、Perfumeの積極的な音楽活動、職人のがんばり、
他ジャンルとの融合、両者に残る「抵抗感」の撤廃、無感情系女子の活躍(?)
…などなどが必要なことなんじゃないかと思います。
PerfumeがTVに消費されるだけの一時的アイドルになったり、ミクがあくまでネタに終始しちゃうなのは良くない…

さて、音楽史
エドガー・ヴァレーズという人が、第二次世界大戦直後、「砂漠」という曲で、
はじめてオーケストラに電子楽器を使いました。もちろん異端ですからハジかれます。ここで生まれた「電子音楽」は、あくまで「前衛音楽」(→イヤミな言い方である)として、一時期放っておかれました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%9F%B3%E6%A5%BD
(国語科のF川先生は実は電子音楽やこの時代の音楽にめっちゃ詳しいです。)
However、今コンピュータミュージックと名を変え、結果的に普及したといえます。この異色中間戦争はそんな予兆とにてるような気もします。

今後、音楽だけじゃないかもですよ?
絵画や小説、演劇やスポーツといった領域にこうしたロボットが出てきたときどういう風に対処されるんでしょう?目先の分野で、おそらく「声優」はもうすぐでしょう。初音ミクが良い先例を創ってあげられたらいいですよねー。

ところで、残念ながら僕は「かしゆか」が3人のうち誰なのかも分からないし、
ミクを使ったのは「16日間体験版」だけだけれど、こんなにずらーっと語ってしまって…
こんどまたボーカロイドやってみようと思ってます。さっき挙げた、「ブームに終わらないために」の一端くらいは担えるかも…(←無理無理w)

Perfume、紅白間違いなし!みたいな声が一部で聞こえてくるけど、Vocaloidも紅白出るかもしれないですですよ?NHKでテーマ曲持ってるし。ここに予言をしておきます!(←天気予報が、ウソをついたw)

☆次回予告☆
http://itcha-myu.hp.infoseek.co.jp/mix.mp3
→突っ込みどころ満載。なんていうか比重は本文といい勝負w

【第3回】H2Oのげーじゅつ *PC水晶

課題に追われてます。
しかし課題と連載は同価値の存在です。


H2O news #3 MAD大人気。でもハルヒらき☆すたばっかり盛り上がる


ええ、次回予告のとおりです…


あれだけあえてマンガやアニメに触れず、文字ばっかり追いかけてきた人間が、
ここにきて文化の受容に寛大になりました。
実際、まだこういった分野の一部には困惑したり引いたりしてはいますが…とりあえず…


ハルヒらき☆すた全部見ました!


ほんとおもしろかったです!


去年の僕ならびっくり。
某合宿の影響か…面子がいけなかったのか…
しかし、ある意味これは高校時代に見なくて正解だったぞ…
正確なところ、らき☆すたあと3回分くらい残してるんだけど…
(次回予告の時点では、間に合うつもりだった。)
もうすぐ全クリなので。


さてさて…この分野について語ってやるぜ!といっても、他者の追随を許さない猛者共がいらっしゃるので、それはお譲りして…前半MAD論。後半テーマソング論。いつもの程度の固さで語りたいと思います。

前半。
なんかよければ適当にMAD動画でも見てみてください。今。


MADは創りやすくなったし、投稿しやすくなりました。
MADが創られることを前提にアニメが創られるようになったのかも…
この流れは、アマチュア技術の進歩で、もはや禁止してる場合でも、禁止できる状況でもなく…

らき☆すたにも、「見事なツッコミキャラ」がいるが…
本当のツッコミキャラは視聴者なのでは?
ケロロとかハルヒの引用とか多すぎだしw

そのツッコミを充足するのは、たとえばニコ動の弾幕だったりしません?
その「即レス」をアニメクリエイターがもう意識してると思います。

これは。僕はカラオケと同じだと思います。
何にも新しいことじゃない。はじめてのことじゃない。
カラオケが流行ってから、明らかに「カラオケ」するための楽曲が作曲されてきた。
カラオケのために曲が創られるようになって、J-pop界が少し狭まったことは事実です。あきらかに一般人の歌唱力を超えた音域は自重されるようになったし、複雑なリズム回しなんかも全部避けられて、作曲の幅が狭まった。これが何を生んだかっていうと、マンネリ化、次の曲が前の曲と似てる、どのアーティストでも同じ味、っていう状況だったんです。(実は最近は、若手バンドなんかだとそんな制限無視して、独流で行くことでだいぶ改善されました。最近の曲のカラオケが難しいのはそのためです。一般にいう宇多田ヒカルの昔→歌いやすい 今→歌いにくい みたいなのも好例。)

じゃあMADのためだけにアニメが創られるようになったら?やっぱり複雑さ、アニメ的技術なんかが自重されて、「幅が狭まり」「制限がでてきて」、マンネリ化し、どのアニメでも同じ味になるんじゃないですか?少なくともしばらくの間は。今ももうそういう時代かもしれません。「才能の無駄遣い」じゃなく、「才能の無駄な制限」がかかったら、ちょっともったいないことだと思いません?MADでハルヒらき☆すた以外がいまいち盛り上がってないっていうのはこれが指摘できる点かもしれません。

ムスカはともかく、ジブリの名作アニメ、はじめてみたとき、弾幕、即レス入れる気にはならないでしょう?ストーリーに圧倒されたり、絵が綺麗だったり。(でも有名すぎてMADは多いがw)そういう、MADに受ける映像だけがすばらしい映像である、とはいえないと思います。

ところでMADは著作権侵害です。でも、例外的に角川がニコ動にMADを認めたり、JASRACがニコ動に「歌ってみた」を許したり。著作権の最新の流れにはいつもひろゆき氏が噛んでる気がしますが…。法律、いつも後追いだよね。


後半。テーマソング論。
ええっと、
http://d.hatena.ne.jp/Itcha/20080607
ハレ晴れユカイ」大分析の記事です。
ぜひ読んでいただけると。今日の話の前提になるし、新たな楽しみ方(謎)ができると思います。
今回はそれと比較しながら、「もってけ!セーラーふく」の話をしますが…
それにしてもすっごいタイトルつけたものだ…それに免じて今回歌詞の話はしません…

http://jp.youtube.com/watch?v=1GFhl7WOIiw
ニコ動がよければ探してください。ま、さ、か、mp3プレイヤーや携帯に入ってたりするのかな?


「ハレ晴れ」が転調の王様だとしたら、この曲はまさに複雑リズムの王様といえます。以下J-popと今日の曲の、歌詞の「文字数」の関係を調べました。あくまで文字数であって、本当は「音の数」で調べられれば一番なんだけど。

Garnet Crow「世界はまわるというけれど」 約409文字
mihimaruGT「気分上々↑↑」 約555文字
KREVA「スタート」 約609文字
らき☆すた「セーラー服」(Full) 約902文字
(漢字も1文字。繰り返しは加算。ネットでひいてワードで算出。)

この曲はヒップホップではないでしょう?DJのターンテーブルより教室の机が似合うし。
あくまでポップスの枠のなかで、これほどの音の数の多さを持つ、ここがすごいところだと思います。

じゃあ、これを実現するために、1小節にいくつの言葉をぶち込めば気が済むのでしょう?
そのためには、音符を刻みまくらないといけません。
この最大までのリズム分割を可能にしているのは、しゃしゃらないドラム(普段は私が刻み役なのに…)と、スラップベース(刻みベース)であります。

どれだけ複雑なリズムをしているか検証してみます。
サビ以外で、どこの拍が一番強いかを調べてみてください。4拍子ですよね。
1・2・3・4だったら、強・弱・中強・弱というのが、音楽の教科書的な強拍・弱拍の関係です。
さっそく、1拍目、強拍どころか、音がないんですね?
音楽用語的には、シンコペーションっていいます。ヨーロッパの人たちが、歌詞の中にたくみに「前置詞」を入れるために開発しました。それをどう使ってるかって、「ちょっ!」とか、「ぷ」とかいう余計な突っ込みでさらにリズムを複雑にして使っています。
場所を変えて「チェリーパイ」「かんげー会」「センセーション」などの単語も、リズムの定型にはまっているようで、「のばし棒」の直前で裏拍が出てきて、跳ねてるんですね。これも強拍弱拍の定型をぶっ壊しています。ま、(定型無視は、他の曲でも多いが、ここまで徹底的に崩し、かつ安定している曲は珍しい。)

で、サビ。
いったんスラップベースが消え、拍あたまにちゃんと強拍がくることによって、今までと違う変化を出し、「曲の大きさ」をアップさせています。ここだけ他と違うでしょう?演出の効果ですね。(ただし、4拍全部「強拍」かもしれない。一定な感じがあるよね。)

それから全体を通して。
ハレ晴れの会でも指摘したとおり、アニメのテーマにはとにかく「時間がない」んです。前奏0、声がないシーンは「らき☆すた」の文字が転がってくる5秒だけ。とにかく要素をぶちこめ!と。この曲ではリズムを刻みまくって、ハレ晴れでは転調しまくって。そんなスタイルが流行です。かけあいや先述のリズム破りの「突っ込み」をはじめ、エフェクトによる「←結論」の「ん」の連打、曲中のお喋りなんかも全部こうした要素です。思いつくまではできる気がしますが、実際に「盛り込む」のは別問題で、ネタ曲をかじったことのある自分から言わせてもらうと「それでいて安定」するのは至難のワザですね。

この2曲、おそらく相当異端です。が、その異端に相当の技術が集約されていて、それがこうしたムーブメントを創りだしていることは、はっきりいえると思います。
以上。



もちろん、こんなバカで複雑なことを考えながらアニメを見ていたわけではございません。最初なんで純粋にぼーっとみて楽しみましたよ?
で、どっちかというとハルヒが好きかな?←結論。


【第4回】H2Oのげーじゅつ ※PCでswingしよう!

本日の1限あった方、通学お疲れ様でした。
僕もひっかかった。渋谷で急行に乗ったはずなのに、代官山で長々止まり、各駅停車に変わりやがりました。40分遅刻…


前回まで、なんだかんだで毎回音楽にかかわった文章だったんで…まあ、得意分野だしそういう傾向は別に隠しませんが、でも、他の分野も無視しないようにしないと。ということで、今回は美術分野です。でも内容は…



H2O news #4 もうすぐ平安遷都1300年!



それでは本日のゲストです。(もう読める展開)
http://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/0806/02/l_yuo_manto_02.jpg
せんとくん


ニュースの流れはこれが比較的まとまっていて良いです。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=518746&media_id=44


うーん…
いや、個々に突っ込んでみてもしかたないですね…
本当に魅力的だ…
さてさて、マスコットキャラクターのお話。
主にキャラクターじゃなくて、「マスコット」の話をします。
マスコット…「共通性を持つ集団」を表現するために用いられる動物や人間を模したキャラクターのこと。


そういう意味でそれを体現なさっているのは…
http://ca.c.yimg.jp/annex/1211882600/netallica.yahoo.co.jp/images/content/-/21871.jpg
ドアラ


彼ですね。本当は楽天Mr.カラスコが僕は好きなんだけどな…
ちょっと動揺してしまっていつものような書き出しができません…。「…」ばかりになってしまいした…。
ふぅ…。マスコットというのは大昔からあるわけです。国旗や国だって、「共通性を持つ集団」を表現する意味ではマスコットですよね。さてさて、今、マスコットキャラクターなんていうのは日本全国に氾濫しているといえます。数が圧倒的に増えました。
 昭和時代、たとえば○○、□周年イベント!なんていうときのマスコットは、マスコットキャラクターより、「マスコットガール」のほうが主流だったそうです。まあ、未だにマスコットガールを使ってる企業は、男性に対し商品を売り込みたいほんの一部の企業に限られていますが…。逆転の発想で「せんとくん支援キャンペーンガール」とかやったらさらに混乱が深まるかも?しかし…人間にイベントの「要素」(細かい注文)がそこまで入り込めないことは自明です。
そこで、非人間である「キャラクター」へと流れが移っていったわけです。要素を人間より多く盛り込めるのは非人間だからこそです。(要素をもりこみすぎるキャラもあるが。「せんとくん」もその傾向?) ここにすでに人間と非人間の対立があったわけですね。

 んで、ゲームやマンガやアニメによってキャラクターがより身近になり、ネットの普及でキャラが双方向な存在になってから、マスコットキャラクターが次々と生まれていく、そんな現象が存在しています。正直、ネット美術に触れたことのある人だったら(作曲のように)1日や1週間で簡単に1キャラできてしまう現在、たとえば「公式」キャラクターはどこまで、どういう価値があるのか、すら立場があやふやです。
 たとえば自治体。全国の自治体ひとつにつき、1キャラいたら、それは飽和状態といえるでしょう。どの街にもへんてこなキャラクターがいる現状、外国人が見たらどうですか?
 実際のところ、「町おこし」を企画するとき、「じゃあマスコットキャラクターを公募しよう」以外にほとんど有効な案は出ないようなのですが…「苦渋の決断」で誕生するマスコットにまず魅力はないでしょう…絵は当然どのキャラも違うけど、名前が非常によく似ているのも(〜ちゃん、〜ぴー、〜太郎…など)行き詰まりをあらわしているのかもしれません。


ここでゲストです。
2006年ブームの、下妻市のマスコットキャラクター、「シモンちゃん」。
http://www.city.shimotsuma.lg.jp/shimon_chan/index.html


自治体マスコットのさきがけ的存在。よく「これで行こう!」って会議で決めたよねぇ。しかし、今、彼女が出てきてももはやあまり目新しさはないのかもしれません。自治体キャラ、ありふれてますから。
 シモンちゃんの例での問題点。シモンちゃん、一人歩き…いや、一人飛びしていませんか?ネットで、最大限ブームになって、羽根の模様がオスの蝶だということから性別論争が起こっている!とかになったり、ネットの絵描きが上手な絵を発表しまくる事態になって、「下妻市は得をしましたか?」

 狙った効果と結果の不一致なんていうのもたまに問題点としてあります。でもシモンちゃんくらいになると心配は要らないかもしれないですね。問題は、全国にいくらだっている流行らない(かわいそうな)キャラたちですね。彼らも…狙った効果を及ぼしません。「きぐるみ」とか「看板」とか「デザイン料」とか、下手したら駄目キャラでもマスコットガールの数倍お金かかるかもしれませんよ?


ここでまたゲストです。話とあんま関係ないです。今日の一押しキャラ。
http://blogs.itmedia.co.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/photo_2.gif
ちば犬
自治体のキャラはそこに住んでる人たちのプライドとも戦わないといけないですね…


 ドアラじゃないけれど、現在キャラのなかでの「かくさしゃかい」は本当にすごいです。ネットで取り上げられるかどうかが勝負。ネットにとりあげられるために、「突っ込みどころ」のあるキャラを作らなければならない…さらに進んで「突っ込んでくれキャラ」ばかり流行るようになったら、前回のMADの話とおんなじ、鈍ったキャラがどんどん…
 「キャラ淘汰」が激しすぎる今、そこから生き残ってもなんかストレートにいかない、もやもやしたキャンペーンとしてのキャラ市場がここにあるんじゃないかと思います。
 著作権問題も含めて、すぐ「キャラクター」に結びつくアピール戦略は、いろいろと疑問を感じてしまいます。放任主義的な、「キャラ作れば人来るんだって」じゃなくて、「どう使うか」が見すえられていることが必要かな、とも思います。
しかし…


あ、ここで大トリのゲストです。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/B000UKOSQ2/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=13299531&s=toys
ひこにゃん


 この大成功例。こうして流行して、成功するキャラクターもいるわけで、方向性によっては飽和し始めているとはいえ、まだ先は明るいですよね。1年に2〜3キャラペースでネットで大爆発がおこる潜在能力は大いにアリ。…というかこのゆるキャラを見ているとそんな心配も吹っ飛びます。


 さて、癒されたところで、もういちど…
http://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/0806/02/l_yuo_manto_02.jpg
どよーん…
信じられない格差…

 しかし、彼も効果はあるでしょうね。この騒動、「聖地巡礼」的に1300年記念祭に参加する人も増えるでしょう。目的達成じゃないですか!
 無名クリエイターの第2キャラ合戦もすごくネット的ですね。先週くらいから第3のキャラが現れたらしいですし。上にあげたmixiニュースの中にも、最大の褒め言葉である「才能の無駄遣い」という文章があります。マスコットガールがアイドルの登竜門だったように、マスコットキャラはキャラデザイナーの登竜門になるかもしれません。そうなればおもしろいかもね。

 今後の展開は…セカンドライフで3Dのマスコットキャラとか…遷都論争アニメ化とか(←見ねーよw)…AIでキャラにらしい「知能」を乗っけるとか…僕が一瞬で考えたのだと、こんなことが予想されますね。

 アイデア勝負のマスコットキャラクター世界、これができるのは日本くらいのものでしょう。その良さを生かして、発展して、高まってくれることを期待します。冗談じゃなく「美術」を押し上げる可能性を持っていると思います。未来志向の良いキャラが出てきてくれれば、ネットもイベントも自治体も盛り上がる、いい効果が生まれると思います。海外に波及したりもして。
 
 平安遷都は、そういう意味でいい転換点になれば。将来、「せんとくんとか、いたなぁ…w」ってなるときに意味を持つかも。

【第5回】H2Oのげーじゅつ ※Pi石井推称

自由が丘手前のゴルフ練習場で、たまたま目をつけていた女の人がショットを打った後ガッツポーズを作って喜んでたので、僕までテンション上がった、そんな通勤特急の一瞬の物語です。
 夏休みにとある企業とタッグを組もうかと…いや、できたらいいなぁ、と。
 さて、今日は順序だてて、大事なとこからお話していきまーす。4編構成です。


・事務的連絡1 重要度☆☆☆☆☆
 今回から、僕に対して、「この曲語って!」っていうのを受け付けたいと思います。リクエストですよ、リクエスト。
 もうなんでもいいです。アニソン、もう一越えでキャラソン、轟音パンクから上品ジャズ、ゲーム音楽、効果音まで… グレゴリオ聖歌から羞恥心までなんでもリクエスト可能ですので、連載のコメント欄、mixiメッセージ、携帯メール、リアル、なんでもお申し付けください。今の世の中、たいていの曲はニコ動かyoutubeに落っこちてるとは思いますが、もしないものがあったら、リクエスト時に聴かせてくれたりmp3渡してくれたりしてくれれば、と思います。

 いただいたリクエストは、「H2Oのげーしゅつ」の中にコラム的に混ぜてフィードバックしていきたいとおもってます。ラジオのリクエストのような気軽さでいきたいです。
 ただし、持論「論ずる」は「軽んずる」、だと思うので、できるだけそうならないように文字化したいですけど、不肖私、100パーセントうまく語れるとは…誰も思ってないね☆
 
 さっそく、↓のコメ欄から、何かあればどーぞ^^
(先週、せんとくんで初のコメント0を獲得してしまったので、焦って対策をした疑惑w)

・事務的連絡2 重要度☆☆☆☆
 8月2日金曜日、映画「スカイ・クロラ」公開になります。
http://sky.crawlers.jp/index.html
 僕は原作の森博嗣の大ファンです。原作読んで、映画化の知らせきいて、何回も読み直して、5年くらい待ってました。が、そうでない人も、押井守監督作品ですし、ひっじょーーーにいい作品と「確約」できます。僕は原作の時点で大喜びですけど、ぽち的には「紅の豚」だったり、onto的には戦争観、「散香」飛びまくりの映像、夕夜的にはそれに加えて声優とか…そのほかにも、推奨ポイントはいくらでもあります。


ので、できれば公開初日あるいはその近辺で、一緒に映画行こう!(誘)
 

 で、もしよければ、それまでに原作、森博嗣の「スカイ・クロラ」を読んでもらえたらな、と思います。ミステリ作家出身の森氏で、ガチガチの小説とも取れますが、ライトノベル的なキャラ感、テンポ感が出ているので楽しめるはずです。この連載からの宿題っ。


 ちなみに森さん、こんなの書いてる割に、バリバリ理系の大学助教授だったりとか…本当魅力的な人なので(…)


・事務的連絡3 重要度☆☆☆
 というか、連載全体の「なかがき」。
5回目なのです。あと8回か。ストックしてるネタはなくなったんだけど、まだいいたいことがたくさん。今後の脳内ラインナップ。おぼろげながら考えてるものたちです。成立するかは未定。

 近場では、北京オリンピックテーマソングのはなし、ハリー・ポッター完結と魔法についての話、ガネク論、SNSサイトのはなし、伝統芸能とのミックスの話、直木賞ライトノベルのはなし…なんかを考えています。


 けど、今までのテーマとこういったことを通して、僕が考えてるのは、「全部同じレンジで語るべし」ってことです。「文学」と同じ流れの中で「ライトノベル」や「携帯小説」があるべきだし、「音楽史」の上に「初音ミク」は乗るべきだと思う。たいてい「本流」がそういった文化を度外視して、(ヒットチャートにキャラソンが載ったときが象徴的)ああはい、そっちで勝手にやってください、俺ら知らん的な態度は、一定量仕方ないにしてもおかしいと思うし、残念だし、もったいないって思います。
 その一方で、「ライトノベル」が、ああ、俺たち「文学」に認められないんだ、さみし。じゃあ自分たちで勝手に語ろうぜ、と、「文学論」と別の「ラノベ論」ができてしまうのもおかしい。ライトノベルが小説じゃなくなってる、ってことですよ。あと、必ずそれに絡むのが、インターネットとか著作権とか、そんな「社会科」だと思ってるから、それにも興味。
 ただ、絶対的にこうした「サブカルを認めろ!」っていう主張をしてるつもりもないんだな、そこらへんはまだ僕が弱いので、あと8回書きながら「あとがき」で語ります。


H2O news #5 ナベアツ、江戸晴海、ルネッサーンス。


 ようやく本編スタートです。でも、重要度は☆。読み飛ばし大歓迎。
ってか、今日は言いたいこともう言ったから満足だわ。それと、今日ここのパートが弱いから事務的連絡を多く持ってきた疑惑。残念!

 ええと、今いちばん流行ってると思しき芸人を3組もってきました。まあ、一般的にこんな感じなんじゃないですか?今。
 「笑」は直接的に芸術なんでしょうか。もちろん伝統芸能の落語や狂言は芸術だ、劇場で見る喜劇は当然芸術だ、とする流れからいくと、芸術ですよね。でも、芸術を「作品が遺って半永久的に参照されるもの」と理解するとしたら、バラエティ番組はたぶん枠から外れるんじゃないかな、と。ま、もちろん、僕は半永久的に遺って参照されようと思って作曲してないからこんな議論はいらないけれど、「どこまで、何が芸術ですか?」って言うのを一度考えてみると面白いかも。なんでだろー、って。でも、記事は「げーじゅつ」なので、もうなんでもいいんです☆

 さて、今日はこの3人の前に、テレビのハイビジョン化の話をします。2011年、テレビは完全デジタル化しますっ。知ってるよね。おばあちゃんによれば、30年に1回くらいテレビの方式が変わるのは自然なことだ、とも言っていたけど、やっぱり寂しい気はしますよね。田舎のうちのテレビが映らんとです、ってなるなんて。それと、2011年までのタイミングで急速に買い替えが要請されていることになります。批評家によっては、これを「インターネットによる攻勢からの最後の無理やりな抵抗」と捉えてる人もいるようです。解説。インターネット化、情報はパソコンがあればいいや、テレビイラネ、って人に対し、強制的にここで機器かテレビを買わせることによって、もうしばらくテレビを見させようとするテレビ局の策略だ!っていう話。まあ、テレビイラネ、ハイビジョン化も、そんなの関係ねぇ、買わないぞ、っていう層が、局側、誤算で、予想以上に多いという指摘もありましたが。
 メディア論は政治学科の人が詳しいと思うので、足を踏み入れることはしませんが、今みんなが地上デジタル対応テレビをゲッツしたことによって、少なくとも画像はきれいになったでしょう。人の肌はきめ細かく見えるし、表情の違いもぎりぎりまでわかる。
 これがネタ番組にどういう風に影響したでしょうか。「見えるようになった」ので、聴覚的なものから視覚的なものにブームが移ったと思いませんか?しかも、きっかけはちょうど今年から。
 個別にみていきましょう。髭男爵は、漫才以上に面白い、というか、人目をひくのは、「凝った衣装」と、「ワイングラスのギリギリ感」ですよね。昔のちっさいテレビだったらあの零れ落ちそうな感覚は伝わらないはずです。
ナベアツさんは、3の倍数でアホになってる姿が体全体から。まあ、声だけでもわかりますけど、ラジオじゃ伝わらない、映ってしまう危うさが…
エドさんはというと、見えすぎてしまうスリルを逆に利用しているといえます。「アンチエイジング〜」なんて言ってますけど、美容、ファッションもギリギリまでテレビで見えるようになったからこその、「見えすぎスリル」?あんまり言っちゃうと変になってくるけど…それを利用しているような可能性も。

 今日の文章でひそかに登場している、ムーディ勝山→はたよーく→ヒロシ→テツトモ→ダンディ→(中略)→漫才ブーム→落語→狂言なんていうのは、こうした「見えすぎスリル」を利用してはいないといえます。
 この間の微妙な位置にいる、小島よしおあたりから始まった新しいムーブメントでしょうか?地上デジタル放送をメディアは引き続き引っ張るし、メディアって「これが面白い」ってお墨付きを与える性格を持つ以上、次に流行る芸人も「見えすぎスリル」を使ってくるかもしれません。そういう風に考えれば、「メディア」は「芸」を勝手に創ってやがりますよね。

 とはいえ、芸のはやり廃りは激しいもので、また漫才ブームがきたりするかもしれません。今、エンタ、レッドカーペット、短すぎて伝わらない(以下略)など、「短いネタ」が流行ってますけど、ある批評では、「短い芸と長い芸は交互に流行り、レッドカーペットの次の番組くらいまで短いネタが流行った後、長い芸中心に戻るだろう」って言ってます。「アメトーク」なんかはこの傾向かも。ネタ番組じゃないけどね。読めませんねー。
 


 はい、僕はこんな馬鹿なこと考えながらレッドカーペットを見ているわけではございません。単純にボーっと見てます。それから、お笑い番組、深夜番組なんて実はほとんど見てないので、うーん…見切り発車の文章でした。

最後になりましたが、ルネッサーンス のミステリアスな空気は大好きです。


以上。


じゃ、ナベアツやエドさんの話は実際どうでもいいんで、最初のほうの文章にコメントとかよろしくお願いしまーす。(今日は事前熟成なし、全部月曜2限の時間に打ったけど、レポートもこれくらい早ければいいのに…)

【第6回】H2Oのげーじゅつ ※PCが良さげ

今週、月〜土までフルにテスト…。今日の4限もテスト…。
そんなこともあろうかと、先週の火曜日に先に文章書いといた。前回いろいろ予告した直後なのに早速先週の予告にないラインナップを持ってきてしまうという…

 あ、曲のリクエストのほうもすでに文章書いたんで、うちのPCに置き忘れてきたんで、うちに帰ってからつけたしか、別トピで上げますね。


H2O news #6 西尾維新「世界」シリーズ続々。


 今日は、「世界」と「世界観」、そこから派生する「セカイ系」という3つの言葉だけに注目します。すみません、西尾維新大先生は最後の最後まで出てきません…

 まず、げーじゅつに対するアンサーである、「レビュー」に着目します。アマゾンでも、ゲーム評価サイトでも、書評サイトでも、なんでもいいけど、現在、インターネット上で作品を評すとき、「世界観」っていう語が非常に多く使われるようになりました。「○○作品の世界観に浸る」「秀逸な世界観」など。これはほとんどの場合、ほめ言葉として使われていると思います。これは主としてファンタジーの世界に多かったですが、そのうちライトノベルやゲームで言われるようになり、最近は音楽にまで、いろいろ使われるようになりました。僕の曲の感想にまでついたことがあります。音楽って世界観持っているのかしら。考えてみようか…。僕は現在の「世界観」のうちほとんどは、「世界」で代用できると思うんだよね。


☆→今日も恐ろしく長いので、★までスクロール可能です!


 世界観とは何なのか?まず、広辞苑says
 世界を全体として意味づける見方。人生観よりも包括的。単なる知的把握にとどまらず、より直接的な情意的評価を含む。楽天主義・厭世主義・宿命論・宗教的世界観・道徳的世界観などの立場がある。
 
 どうやら哲学用語のようです。というわけで、せっかく以前国語科M川先生に読み方を習ったので、哲学辞典を引いてきました。
 哲学用語辞典says


世界観 (独) Weltanschauung (英) world-view
 生活経験と生活気分に立って自然と社会つまり世界全体に対して抱かれる統一のある見解のこと。このことばは1800年ごろドイツロマン派の人たちの間で使われ出した。シュライエルマッヘルは宗教について「宇宙(世界)の宗教的な観照」を語り、世界観は[思弁的な自然科学]と[歴史の学問的な考察]の成果であって、精神の最高の自己活動を前提にしている。世界観は、[世界の諸理念]が[世界観そのもの]に即しそれとともに実現される[とき]に最高頂に達するという。ディルタイによれば、世界観は生に直接根ざし、生の[世界の謎を解く]ために知覚や表象や判断によって科学的な世界像を形成し、これをもとにして生の評価と世界の理解を行う、そして世界の理想や最高善や最高原則の[意識が最高頂に達するとき]、[世界観]は意志的になり造形的改革的になる。
(中略。ホッブス・カント・ヘーゲルウェーバーなどが次々出てくる)
 ヤスパースは世界観を哲学の根源の一つとしてあげ、これは[知識のあらゆる完成]を超えるものとしている。そして次のように説明している。「世界観の中には……[個人]がいかに評価するか、彼にとって無条件に重要なものはなんであるか、彼にとって何が単に相対的な意義しかもたないか、その結果、彼はどんな態度をとり、またどんな行動をするか問うような方式が含まれている。」世界観とは、個人のこのような評価、態度、行動の原理を一般的形式の中にいい表したものである。さらに世界観の語の中には、世界存在として消え去っていくものが本来的に存在しうるような一切のものの根拠すなわち「超越者」に対する内面的態度が言い表されているという。



わっかんねーーー。しかも、タイプ疲れたーーー…
なんだこの学問分野はっ…
じゃあこれをみんなで理解しよう。現代日本語訳しよう。
[]の部分は上下対応させて読んでくれると。{}の部分は僕が書き足した部分。



 {学校}生活経験と{学校}生活気分に立って自然と社会つまり世界全体に対して抱かれる統一のある見解{=haruhi裏世界!}のこと。このことばは1800年ごろドイツロマン派の人たちの間で使われ出した。シュライエルマッヘルは宗教について「宇宙(世界)の宗教的な観照」を語り、世界観は[nagato(↑思弁的な自然科学)]と[mikuru(↑歴史の学問的考察)]の成果であって、精神の最高の自己活動を前提にしている。世界観は、[宇宙人・未来人・超能力者]が[haruhi]に即しそれとともに実現される[最終話]に最高頂に達するという。ディルタイによれば、{裏の}世界観は{haruhiの}生に直接根ざし、[ナゾナゾみたいに地球儀を解き明かす]ために知覚や表象や判断によって科学的な世界像を形成し、これをもとにして{表世界}の評価と{haruhi裏}世界の理解を行う、そして世界の理想や最高善や最高原則{から最も遠い、憂鬱}が最高頂に達した[最終話]、[透明巨人]は意志的になり造形的改革的になる。
(中略)
 ヤスパースは{haruhiの裏}世界観を哲学の根源の一つとしてあげ、これは[koizumi(超能力)]を超えるものとしている。そして次のように説明している。「世界観の中には……[kyon]がいかに評価するか、[kyon]にとって無条件に重要なものはなんであるか、[kyon]にとって何が単に相対的な意義しかもたないか、その結果、[kyon]はどんな態度をとり、またどんな行動をするか問うような方式が含まれている。世界観とは、[kyon]のこのような評価、態度、行動の原理を一般的形式の中にいい表したものである。さらに世界観の語の中には、世界存在として消え去っていくものが本来的に存在しうるような一切のものの根拠すなわち「超越者・涼宮ハルヒ」に対する内面的態度が言い表されているという。



<世界初、哲学用語辞典とMADする涼宮ハルヒ
 どう、理解できた?だいたいこんなことをいいたいんだと思うよこの辞典の執筆者は(爆)
 中略以降はすごく綺麗だと思うんだがどうだろうか(全員無視)
 そーとー馬鹿だけど、この作品はまあ哲学的でもあるわけですから、こんな理解も可能なわけです。
 要は、世界観とは「世界に、姿とともに意味まで見出す見方」ですよ。僕ら日常生活で少なからずやってるよね。(この2行でハルヒ不要説急浮上。)



 こんな風に、「世界観」という語は、これほどの深い意味を内包しているわけで、広辞苑にはこの意味でしか乗っていないわけです。哲学用語にも「世界」はありますが、一般国語としての「世界」のほうが、「世界観」より明らかに身近です。「世界」で代用できない大きさの「世界観レビュー」はまずないといっていい。だから僕はレビューにおいてはこう感じます。「世界観の濫用だ!」と。
 でも、「FFの世界は最高!」っていうより、「FFの世界観は本当に深い」って言ったほうがなんか知的だし、レビューとして落ち着きがいいですよね。日本語が変わってきたのかな?

 思うに、レビュー語としての「世界観」という言葉は「世界」より意味が広いんだと思います。「世界」の最小単位は、人と人の関係ですよね。「きみとぼく」の関係でひとつの世界は構成されるわけです。でも、「世界観」はどうですか?もうちょっと包むものが多いと思います。それと、「観」という字から、「俯瞰して上から見た世界」というニュアンスも持っていて、クリエイターが創った物語すべてを理解者の方から指し示すときに、このニュアンスと一致するんじゃないかと思います。ま、広辞苑にも哲学用語じゃない、「レビュー語世界観」の意味はのっけるべきかもね。


 と、いうわけで、微妙な用語ですが、ぜひぜひ「世界」と「世界観」を使い分けてみましょう。そして、「世界観」に一段差をつけて、より深いホメ言葉にしてみましょう。


★スクロールお疲れ様でした。


 と、ここまでいったところでようやく「セカイ系」の話。批評家によって最近よくいわれることばですので…知らなかった人がいたら今日はこの言葉を覚えて帰ってください。(テスト中自重w)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E7%B3%BB

Wikipedia says
 「セカイ系」とは「ヒロイン(きみ)と主人公(ぼく)を中心とした最小の関係性(=世界)の問題が、社会を介すことなく大問題に直結する作品群」のこと

 先述のハルヒもそうかもだけど、上遠野浩平ブギーポップ」シリーズとか「最終兵器彼女」あと「空の境界」とかが代表的かな。これはギャルゲーエロゲーの類にも多い。なぜなら、「きみ」であるヒロインがすっごくかわいくできるから。「萌え」の起源説のうちのひとつ。文学から派生したライトノベルの定義のうちのひとつ。
 たぶんかなりの割合の小説、ゲーム、ドラマ、映画…作品がこれに当てはまります。特徴としては、メインの登場人物がすごく少ないこと、主人公とヒロインがいちゃついてるだけなのに、ラストがすごく壮大だった、とか、登場人物全員関係者wとか、前半「学園」だったのに後半「学園」どーでもよくなってる、とか。なにか思いつくものがあったら、ぜひ↓コメント欄↓に挙げてみて!

 じつは、こうした物語がもてはやされてるってことは、学校などの「社会」を通さないでヒーロー像ができることから、「きみとぼく」を求める傾向が非常に強い=俗に言うひきこもりの世界を生むといわれていて、一部の論者は社会問題と結び付けています。「セカイ系文学」=「ひきこもり文学」という言い方も。信じられないけど、これが秋葉原事件を生んでしまったのだ(涙)なんていう論者まで。別に奈須きのこはどこも悪くないのにね!
 逆に言えば、セカイ系文学は、こうしたひきこもり的思想を知らない夏目漱石芥川龍之介ができなかった、注目すべき作品なのかもしれない。ノーベル文学賞や、芥川賞受賞作品には、セカイ系文学はほぼ無いといっていいでしょう。
 まあ、「セカイ系」なんて区切りはあくまで評論家たちが為したあいまいなもので、作家の個性はそんな枠考慮されてなくて、どんな世界の言い方も、あくまで作家の脳内世界であるはずなんですが。

 含む内容の大きさだけでもって大雑把におさらいすると、「世界観」>「世界」>「セカイ系」って書けるかな。


 で、最後に西尾維新Wikiにもあるように、戯言シリーズはよく完全なるセカイ系作者の中にカテゴリされます。(個人的には違うと思ってるが)。『刀語』はセカイ系、『化物語』は章ごとにセカイ系と言えるかな。
 じゃあ、『きみとぼくの壊れた世界』はどうでしょう。もし僕の考えがなんとか伝わった方には、このタイトルがものすごく挑・発・的なものに見えてきません?
 西尾氏は、もちろん戯言シリーズがこうした「きみとぼく」作品とか「セカイ系」とか言われていたのを知ってたはずです。それに対するの意見として、こんな狙ったタイトルをつけて小説を書いた。で、そんな風にカテゴリが先行するのは御免だ、あくまで個性である自分の作品が指し示す「人間関係」とはこうだ、って宣言したように感じるよ。僕は。そういう挑発がこめられてるんじゃない?「きみ」=病院坂黒猫の中には。→西尾信望者。


 そんなわけで、先週ついに第3巻「きみとぼくが壊した世界」が発売したので、テスト明けにでもみんな読んでね☆ よければ1巻から貸すよん♪


↓「セカイ系」の作品例募集!↓

【第7回】H2Oのげーじゅつ ※PCクリニカ

さて、今回は少し毛色が違う文章になるかな…

 僕は4月から通学経路を変えて渋谷駅を使ってます。
渋谷駅。One of the 東京の中心。 
全部で8路線、18ホーム。そのうち貫通してるのがJR、田園都市半蔵門。「半直線」なのが東横線・銀座線・井の頭線副都心線(←なぜか変換されない)ですね。
 新宿駅や東京駅は、JRの路線がたくさんある分、方角的には整除されて、仲良くホームに入ってくるんだけど、渋谷駅はもういろんな方向に路線が放射しているから、後からできた路線を渋谷の近くに到達させるのが大変…
渋谷の駅舎に注目してみてください。あるいは、井の頭線から東横線まで乗り換えてみてください。右へ左へ、上へ下への大騒ぎ。
 渋谷駅は交通の要所。でも、ちょっと見方を変えてみましょう。文学的な無意味な考え方かもしれないけど、「駅舎に路線が刺さってる」といえないだろうか。さらに比喩を発展させると、「東急デパートは黒ひげ危機一髪状態だ」「東急デパートは、マジックの、箱の中で剣で刺された女性だ」とかいえる気がして、そこからたとえば耐震工事の話を主張したり、渋谷の町全体の複雑性の話をしたいなら、インパクトのある風刺画がかけそうだなとか思って登校してます。

今日は、そんな無駄思考の発展系。


H2O news #7 下北沢再開発計画進行中

第1章
 あのぅ、労作展なんですが、僕は3年で作曲とエレクトーンで賞をいただいたんで、そっちのほうが注目されたのは当然なんですが、1,2年で何やってたかっていうと、1年生で戦国時代のお城の研究、2年で街づくりの研究をやってたわけなんです。まあ、中2が一番手抜きってましたが、以前は興味あった分野なんですよね。

 で、今日は「街」の話をするわけですが…
 建築は、美術の分野に含まれて、正規的な芸術として、大学でも扱われています。芸術と工学の両方の側面を持つ。で、建築物が集まった「街」も、100%芸術とはいえないまでも、少なくともげーじゅつといえるんじゃないだろうか。
 ワレワレは、ヨーロッパの、たとえばヴェネツィアの水路、プラハの石畳なんかを見るとほわーっと感動するわけで、そういった感動は名画や名曲と共通するんじゃないかな。さらに、シオンタウンにはじめて入って「家が4つでタウンかよ」とかいうツッコミや、ヤマブキシティに入って「無駄に広い…」と思う感動、FF?で後半街が滅茶苦茶に破壊される、そのときの喪失感なんかもぜんぶ含めて、「げーじゅつ」でしょう。
 ヴェネツィアとシオンタウンを同じにするなwとか思うんだったら、是非劇場版ポケットモンスター「水の都の護神」をご覧ください。湯山監督がヴェネツィアまで取材に行っているのを知ってました?coba氏の音楽と合わせて、なかなかよかったですよ?

 ああ、まじめに社会科やってもつまんないんで、今日は往々にしてこのように脱線します。では下北沢について直接語る前に、渋谷の話とつなげて、「建物」と「駅」の話をしますね。

最近の傾向を見ていると…
「てめぇの駅に急行を止めたいんならでっかい商業ビルを1個建ててみろよ!ああん?特急を止めてぇのか?だったら商業ビル3個くらい建ててみろよゴルァ!」
…といえると思いません?
言い換えると謎の公式が作れます。ビル関数。
<ビルなし…お下がりください、各駅停車だけが止まります。>
<ビル1個…急行が止まります。>
<ビル3個…特急が止まります。>
<ビル沢山…渋谷・新宿・池袋になれます。>

 たとえば、新百合ヶ丘。昔は単なる分岐駅。2つの駅前ビルが入って、映画館も建ったことで、「快速急行」が止まる駅に出世し、今春3つ目の駅直結のビルが建ったことを記念してか、ぼちぼちロマンスカーまで止まるようになってきた。ビル3個パワー。
 たとえば、日吉。ビル1個で、急行が止まってたんだけど、地下鉄とか目黒線とかで付加価値を無理矢理主張して、朝晩は特急を止めてみた。2個目のビルは慶応の地下鉄の上にできるヤツと言えなくもない。
 たとえば、北千住。ほとんど行ったことないがw路線増えて、ビル増えて、大型駅の仲間入り。
 たとえば、経堂。うちの隣。平日昼間ついに急行を止めてみせたが、商店街ビルを壊して商業ビルを建てるっぽい。ビル1個候補生。
 たとえば、浦和。伊勢丹に加え、パルコ誕生によって、でかビル2個パワー。今後湘南新宿ラインも止まるらしい。
 たとえば、みなとみらい。MM線ができたとき、特急止めたかったからでかいビル建てた。とあげつらっていえなくもない。
 ほかにも、センター南北、多摩センター、蒲田、大井町聖蹟桜ヶ丘
 ビル化した街って、結構ありますよね。

 まあ、駅が先か、街が先かなんて、実は「たい焼きをどっちから食べるか」くらい意味のない議論ですけどね。あ、「卵が先か、ニワトリが先か」が正解か。でも、こうした駅が、急行や特急を「ゲット!」した手段って、大昔新幹線とか本線の特急が止まるようになった駅と比べて、明らかに異質じゃないですか?姫路駅に新快速が止まるのはビルがどうとかじゃなくて昔から城に人がいたわけだし。
 
 街が発展して、発展したからビル建てられるだけのパワーが街にあって、結果ビルができて、急行が止まるんだから別に普通の流れなのかもしれない。元住吉にパルコ建ててもしょうがないし。でも、「必ずビルが介在してる」のがなんかヤだと思わない?
 
 そりゃあビルは楽しいですよ、映画館が入ればもはや街の中心ですよ。でも、どこの街もおんなじですよ?それじゃあ。新百合ヶ丘のビルに入ってるお店はセンス抜群だけど、明らかに舗装がまわりと違ってる「エリア」を一歩出たら、ふつうの多摩ちっくな、坂だらけの住宅街だからね。
こうしたビル街は、楽しいけど、目で騙される可能性がある街ってこと。ビルに色つけられる街。→第?カテゴリ

 それに対して。街自体の魅力、というか、ビルなしで特急止めてる街がいくつか。自由が丘、下北沢、高円寺、千歳烏山、代官山… まあ、単に人が多いとか、単なる乗換え駅やろ、って突っ込まれそうだけど。「商店街」ってのもキーワードかな?商学部、経済学部的にはどう?w まあ、こっちのカテゴリは、乱暴だけど、街自体に魅力があるっていえるんじゃない?一応。「歩ける街」だし。→第?カテゴリ

 ところで、裏技。
 ビル以外で特急を止める方法。新丸子駅で、「特急電車が通過します」とアナウンスされたら、駅のホームですっぽんp…いや、駅のホームの線路際で腰掛けてみてください。どっこいしょ。非常停止アナウンスか、運転手のご配慮によって、新丸子駅にも特急が止まるでしょう。ビルがなくてもね。


 はい、下北沢再開発計画。
 「じゃあ下北、街として問題アリだから、小田急線地下に入れて、でっかい道路通してつかいやすくしてあげよう!ま、今ある店は壊してビルに入れるけど、しゃあないよねby行政」
参考→http://www.stsk.net/index.html
 おおざっぱに言えるのは、第?カテゴリを第?カテゴリにしようとしている計画かもね、ってこと。でっかいビル建てるらしいし。
 大事件だと思うのは、秋葉原がもうビル化に飲み込まれたこと。ヨドバシと、後ろのビジネスビルね。行政はやっぱオタク街イヤだって。
今も続々、各地が。中目黒、武蔵小杉、経堂…
 ビル化は、さっきのステップでどんどん進化して行って、(ビル1→3→渋谷化)その最終進化形態は、街自体に増えた路線が刺さる「黒ひげ危機一髪」なんじゃない?ま、そこまでいくには○百年かかるかもだけど。
 有川浩塩の街』か!ってくらい急速に飲み込まれてます。キノにもこんな国あったような。はやみねかおる『虹北恭介の冒険』の商店街にも閑古鳥が鳴くわけだ…

 もちろん再開発推進派は、下北沢なんて消防車は入れないし、防災ダメダメ。車が基本通れないなんて交通でもっと良くなるのに。バリアフリーな街づくりをしよう、と。それは事実だよね。駅からどれほど離れたところにバス停があると思う?道は入り組んでて人だらけ。車椅子通れない。
 急進的な、反対一辺倒の意見は駄目だと思うよ、これらは事実だし。でも、まあ、ショボショボ大学生が何を言っても始まらないが…僕は…まあ、読んでお分かりのとおりなんとなく反対なんだよねん。

 と、と、ところで、今回のコラムをこの内容にした動機は、「大変な途中下車シリーズ」の、「小田急線は大変な放送をしていきました」で、最後のオチとして、我らが千歳船橋駅が使われたことに対するせめてもの抵抗なのであります。だから路線がらみの話が多かったわけ…
http://www.nicovideo.jp/watch/sm751764

 下北沢の心まで簡単に盗まないで…とか?w



第2章
 下北沢をもうひとつの観点から。もっと「げーじゅつ」します。
これからもっと社会がネット化したら、リアルな土地は要るのか?

 でも、下北沢から、「バンプ」が生まれ、「ポケモン」が生まれ、劇団「大人計画」をささえた事実は無視できません。

 と、この段落書くために、「劇団 下北沢」で検索したら、なんと5番目に劇団ロズノワールが出てきたんだけど…「Save the 下北沢」にリンクしてるし! なんだ、夕夜月氏はとっくに意見表明をしてたのかw

 SMKTの芸術の包容力、環境の充実は目を見張ります。Club 251、ガレージ、ロフト。本多劇場系列いろいろ、短編映画のTollywood、貸しアトリエのCraft Space…あ、ゲームフリークの本社は僕が日特で通ってた日能研下北沢校と同じビルにあったんだよね。つい最近まで。入り口除いてみたら、タウンマップと大きなコイキングフシギダネの人形が見えた。日能研の先生に怒られた。

 やっぱり、渋谷の音楽と三軒茶屋の音楽と、下北沢の音楽と、秋葉原の音楽と、上野の音楽はぜーーーーんぶ違うわけですよ。ここまでネットが音楽する時代になって尚。ネットは全部均質だ、と思うかもしれないけど、ネットにまで、架空の街としてパワーを持ってる。下北沢的ネット音楽と秋葉原的ネット音楽が違うのは普通にわかるとおり。
 音楽は土着します。これはある種「民族音楽」です。あ、ippoさん笑ったな? アイルランドにあんな音楽があって、インドにこんな音楽があって、ニューオーリンズにジャズがあって、バリ島にケチャがあるのと同じように、下北沢にあんなロックがあって、秋葉原にこんな…ん、アニソン?があると言えるはず。
 大陸から遠く離れた島にも民謡があるように、人々は生きてく上で音楽を求めます。ネットも土地です。秋葉原や中野のような「土地」を求めるのは自然かもしれません。
 ネットとリアルな土地との繋がりを探すとき、こうしたシンボリックな土地があることは依然大事だと思いますよ。

脱線。ネットとリアル土地の繋がり→シンボリックな土地→聖地巡礼→そいえばさっき聖蹟桜ヶ丘出したな→時をかける少女
先週土曜もまたちょっと見ちゃったよ。さすがだねぇ。この時期、宮崎作品・角川作品・押井作品が同時期に押し寄せてくるなんてなんて幸せな日本なんだ。
知ってた?「→ここから」の交差点とか、聖蹟桜ヶ丘にそのものぴったりの交差点があるんだよ。某A氏(ネットの友達)が自転車で行って写真とってきてたけど、ほんとにそのまま。聖地巡礼も考えてみると面白いよね。「鷺宮神社が壊されますよー」ってなったら、下北沢以上に事件が起こりそうだ… 2種類の宗教的な意味でw


まとめ章
 →もしビルができてしまったら。嘆いていてもしょうがありません。ビルの中にセンスあるお店を詰め込みまくって、それで色を出して最高のビルにすればいいじゃないですか。そしたら新百合も浦和も涙目です。がんばれ今の秋葉原
 →もし街がこのままだったら。「げーじゅつ」パワーの賜物です。「げーじゅつ」が「社会」に勝てたことになる。これは、一見関係なさそうな仮想土地ネットでもすごく意味があることだと思うなー。


 ところで、なんか途中に挟んだニコ厨的な記述でさえ、「行政」や「社会」や「街づくり」と同じグラウンドに立つべき、というのが僕の主張じゃん?

 さて、先週はテツガクっぽくて、今週はシャカイっぽかったので、重かったですね。ごみんなさい。来週はなんかもっとパーッとやりたいですね。そーか来週はテスト最終日か。じゃあ夏記念で…何書こうかなww

 毎週、「どくどく」的にじわじわと文字数が増えてるんですけど…(泣)
来週は減るぞきっとw

【第8回】H2Oのげーじゅつ ※PG−12

祝!甲子園!
…ついさっきテストから解放されたばかりであります。

☆事務的連絡その1
「H2O迷曲アルバム」ですが、先週「迷彩」の記事を書き終えたところで、デスクトップPCの本体が、僕が電話にあわてて、つないだままの状態のヘッドホンにつまづくという馬鹿事故によって机から引きずり落とされ、標高80cmのスカイダイビングを経験しました。パラシュートはなしです。
 直後に電源が落ちました。
 奇跡的にHD等は無事でした。ヘッドホンとかをつなぐ端子部のホコリ防止カバー(?)が物理的にぶっ壊れ、床に穴があきました。
 で。書き上げた原稿が消えまみたっ!!
 よって、以後二度とこのような事故を起こさないように祈念するとともに、「H2O迷曲アルバム」は今回の事故の象徴として、灰色決着を迎えることになりました。
 「迷彩」については語れるので、またいつかw
 しかしね、PCの本体落とすってどんだけだよ!
 本当に心臓止まったぞ…




H2O news #8 桜庭一樹直木賞第138回直木賞受賞

こないだ、経済史なり、近代思想史なり、法制史(←これ今日試験だった)なり、何でも「史」をつければ学問になるよね!とかいってたんで、大学の科目っぽく、日本ライトノベル史でも。
ライトノベル史・ジャンルとは?・(純)文学・文学賞・批評が今回のテーマ。

 法学部の最初の講演。誰も聞いてなかったけど、自分の「時代」に、最低ひとりの小説家と、ひとりの批評家を持てと。実践してる珍しいやつがここにいます。僕の一人の小説家は、お察しのとおり西尾維新。評論家のほうは、東浩紀津田大介大森望かな、いまのところ。評論家を見つけるのはなかなか難しい…

さて、セカイ系のところでだいぶラノベの話したかもしれないけど、やっぱり改めてまとめたほうがいいかなぁと思って、被り承知でもう一回。
と、語ってるけど、僕、ライトノベルの「中心」はほとんど読んでないんだよね…ライトノベルと純文学の境目とかが好きなんだけどね。はやみねかおる森博嗣→ミステリ系→西尾維新ライトノベルってきたんだけど、あくまでミステリが先行しているせいか、そんなにハマレナカッタんだよね。同時期に童門冬二(時代小説)とかも読んでいたのが謎だったが。中2、中3くらいで一通り足を洗っていたよ、たとえば電撃文庫とは。

 まず。ライトノベルとは何ですか?どんな小説ですか?
→答えられくね?
 という状況がなぜなのか。
 それは、「ライトノベル」が、「SF」や「ミステリ」や「時代小説」や「恋愛小説」…と違って、ジャンルではないからです。ライトノベルは↑全部を含むことができるしね。一般的な「ライトノベル」の定義は
 マンガ的あるいはアニメ的なイラストが添付された、中高生を主要読者とするエンターテイメント小説のこと。
 だそうだ。あ、僕らもう主要読者の枠超えたね?w
 
 日吉の天一書房。の、マンガとかラノベとかおいてあるところに、某ハルヒが立て看板になっていますが、角川スニーカー文庫創刊20周年、と書いてあります。新城カズマライトノベル「超」入門』によれば、神坂一が『スレイヤーズ!』(富士見ファンタジア文庫)を発売した年が、「ライトノベル元年」なんだそうだ。なんと、まだ『スレイヤーズ!』はアニメでやってるみたいね。おそろしやおそろしや。

 厳密な起源は?といいわれれば、ジュヴナイル小説、とか、少年探偵団とかいろいろ言えるんだけどね。

 いま、角川スニーカーとか、富士見ファンタジアとか、電撃とか、あえて「レーベル」を気にして僕が文章を書いてきたのに気づいたかもしれない。こうしたことからいえるように、「ライトノベル」は「ジャンル」じゃなくて、「レーベル」だ、ということ。「ライトノベル」を決める要素は、本の内容ではなくて、外的な、「どこから出版された?」とか「表紙絵は?」とかで決めるしかないってこと。

 西尾維新says「ぼく自身はライトノベルは基本的にはレーベルだと思っています。講談社ノベルスライトノベルレーベルではない。その意味では「戯言」シリーズライトノベルではない。ただ一方で、イラストと小説のついたコラボレーションがライトノベルだという意見もあり、そういう意味では「戯言」シリーズライトノベルには含まれることは間違いない。ただ、ぼくがライトノベルだといわれるせいで講談社ノベルスライトノベルレーベル扱いされるのは、ほかの作家さんにしてみれば違和感があるだろうと思います。」

 講談社ノベルスは伝統的なミステリ小説のレーベルなんだよね。京極夏彦とか、森博嗣とか。西尾の文章を読むと、作家自身もライトノベルってなんだかわかんない、って印象を受けます。

 それほどライトノベルって、流動的なものなんですよー…。
 コンピュータミュージックと似てる。これ聞いただけで、どんな音楽かって、今のシーンからだったら想像つかないじゃない?
 
 ええと、小松左京(←『日本沈没』の人ね)、星新一とならんでSF御三家と呼ばれ、ナンセンス文学や前衛文学を一手に担ってきた、筒井康隆、73歳。『時をかける少女』の原作の人だけれど(←少なくとも『時かけ』原作はラノベじゃないよね)。この人が、「ファウスト」に、「ライトノベルを書く!」って言って立ち上がった。媒体はファウスト。イラストはまさかの「いとうのいぢ」。世界最高齢ライトノベル作家
 御大が書いても、SF作家が書いても、イラストさえ、媒体さえ、ライトノベルであるなら、ライトノベルなんです。もうすぐ発売されて、おそらくは将来アニメ化とかで盛り上がるだろうから、これはチェック入れとくといいかも。「ビアンカ・オーバースタディ」って言うんだって。


 じゃあ、僕のお得意のライトノベルと他ジャンルの小説の境界の話をします。ってか別名僕の読書記録。興味ない人はパスしちゃって。最後にまた戻るから。
もう維新と筒井御大は出てきちゃったから、パスで…

 橋本紡 『半分の月がのぼる空』から発進して、今は恋愛小説かな、思うような「普通の小説」を書いてる。ハードカバーで。お勧めは、『空色ヒッチハイカー』。ロード小説で、ヒッチハイクがテーマ…なんだけど、セカイ系っぽさがあったり。

 有川浩 先週ちょっと出てきたよね。『塩の街』は、電撃大賞でデビューしつつ、ハードカバーでも出たっていう異色作。で、『図書館戦争』。だけど、普通の小説である、『阪急電車』が凝ってて好き。立ち読みだけど。
 
 辻村深月 講談社ノベルスの人。ミステリはミステリなんだけど、どこかゲームっぽい小説。『スロウハイツの神様』は、滅茶苦茶お勧めで、創作意欲が上がる小説。『凍りのくじら』も、ドラえもんの秘密道具が章のタイトルだったり、不思議な小説。

 小野不由美 『十二国記』も、作者の出発点はライトノベル

 霧舎巧 『霧舎巧傑作短編集』が好きだけど、シリーズものだからね…。狙ってラノベやってるぶん多少露骨だけど、ミステリとラノベのあいだ。

 乙一 まあ、もう映画やアニメなどでなーんでもやってるよね。ホラー系小説を「黒乙一」と言って、恋愛系小説を「白乙一」というらしいけど?
 
 上遠野浩平 『ブギーポップ』シリーズ。電撃。だけど、『ソウルドロップ』シリーズみたいなこともやってて、SF、ラノベ、ミステリの間。

 村山由佳 『おいしいコーヒーの入れ方』シリーズだったけど、どす黒系恋愛小説もアリな人。

 ここらへん見てると、ほんとにラノベと他ジャンルの境界って何?っておもうよね。やっぱりラノベの定義が「内容」じゃないから、こうしたことが起こるんじゃん?
 で、これにならぶのが、本日のニュースである、桜庭一樹
 ですけど、その前に直木賞の解説を入れておきましょう。日本でNHKのニュースに出る、有力な文学賞であることは知ってる人も多いと思いますが。
 直木賞と、芥川賞ってありますね。毎年1月と6月に発表されます。直木賞は大衆文学、芥川賞は純文学がその対象です。選考委員は、直木賞だったら浅田次郎阿刀田高芥川賞だったら、石原慎太郎村上龍といった大御所おじいさん作家さんたちが選考委員。料亭に篭って決めたりする、妖しい文学賞。そのぶん、本屋大賞メフィスト賞電撃大賞と違って、権威的。これぞ文学!って感じの賞。
 ライトノベルがマンガやアニメとつながったように、文学は映画やドラマとつながったわけで、文字を相手にしながら、両者は結構別々の事をやってきたと言えるよね。

 で、そんな直木賞を、『GOSICK』と『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』(←このライトノベルがすごい2006年版で、第3位。ちなみに1位戯言、2位キノ旅)を出発点にした桜庭一樹が取ってしまったということは、実は大事件なんだけど、あまり注目されないっ!!!

 第138回直木賞受賞作 桜庭一樹『私の男』、あるいは、137回候補作『赤朽葉家の伝説』。ラノベ色は作品自体にはあまりないんだけど。濃い、濃い話なんで、『私の男』自体はぜんぜんラノベっぽくないんだけどね。

 あのおじいさん権威的賞である、直木賞に、ラノベ作家が選ばれたと言うことは、ライトノベルが力を持っていることの証明であることと同時に、実はその垣根はすごく低いんだってことを証明したと思うんだよね。

 まあ、単純に桜庭小説は大好き&大おススメだから、受賞してうれしかったけど。おめでとう!って。反対側から捕らえれば、「純文学」とか「大衆小説」とか、エライ言葉に、「ライトノベル」ってえらくない言葉が呑み込まれそうだといえるかもしれません。また、こういう賞を取るのは、「作者の最高傑作とは言いがたい、それ向きに変更された作品」だという人も多い。だったら『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』に授賞してみよ、とね。一理あるけど、そこまで広げたらキノもハルヒもホロも玖渚友も黒桐(妹)も全員直木賞だよね。
 今まで一切ライトノベルに見向きしてこなかった「文壇」が、「認めてやった」とも取れますよね。フラットに語られるべき両者なのに、片方が片方を飲み込んでしまったら話が変わってしまいます。流動的で、外的要因によって初めて決められる「ライトノベル」ですから、こういう風に流されてしまいやすいのかもしれませんが。権威的な「純文学」に、果たして「ライトノベル」は飲み込まれてしまうのか。「ライトノベル」は消えるのか…

 んで、何人かが、こうした「ライトノベルの既存文学への吸収」にあわてて活動している、というのが昨今の熱い文芸評論のテーマ。知ってた?ここら辺が最近の僕の興味のストライクゾーン。深い話なので知りたければ何なりとw
そんな評論、たとえば。

http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/426202.html

 こうしたぶっ壊れた批評と文学とライトノベルの関係性が、面白いなぁ、とおもってw
 ちなみに、もっと面白いのは芥川賞選考委員石原慎太郎の書評。ライトノベル色が嫌いで、ちょっとそんなのをみつけると、「こんなのは小説ではない」的書評を書いてくれる。「まずタイトルからしておかしい」とかw
門馬監督の継投がおかしい!とか大田を敬遠するとは何事!みたいな、単なる野球オジサン的な評価を下してくださる。

 あ、そういえば、『夜は短し歩けよ乙女』で有名な森見登美彦氏が、『ゴールデンスランバー』で139回直木賞の候補になったけど、自主的に降りたんだよね。反響が大きすぎる賞で、執筆に差し障りが出ますから、静かにしています、と言っているんだけど…
http://d.hatena.ne.jp/Tomio/
 まあ大胆なブログだこと…





☆事務的連絡 その2
 いや、今日は上よりこっちのほうが重要だから(またかw)
http://www.kadokawa-sp.net
 角川スチューデントパートナーですって。ふーん。このコミュニティで書いてること的な興味から、単身乗り込んできましたよ。
 そうして昨日説明&選考会に、塾高の決勝戦捨てて(泣)行ったわけだけど、滅茶苦茶こういったコンテンツに詳しい社長様がすごく熱心で好感持てました。周りは大学高学年が大目。あとSFCの人が多かった気がする。
 たぶん、辞退されない限り全員にできればなんかやってもらいたい、っていう大らかなことを選考会で言っていたから、たぶん何らかの形で関わることになると思う。落ちたら知−らない。忘れて(はぁと)。Youtubeの番人アルバイト、とか、企画案、とかやるかも?

 この件に関して…なんか基本ネットに書いたらいんさいだぁなんとからしいし、長くなりそうなんで、ぜひリアルで一度w

 それとは別に、この会社が、youtubeで動画投稿募集キャンペーンをやってるみたい。敷居は低そう。なんかやってみる?テーマがいまいちな気もするけど。
http://www.walkerplus.com/sp/w-channel/


 あと、カンフーパンダのチケットもらったwwwwww