舞城王太郎 『みんな元気。』

さてさて、舞城さん。
短編集。

実は今までちょっと肌に合わないかもなーと思ってたけど、
最近の2作、これと『SPEEDBOY!』は気に入っています。


本を読んでいてまったく頭に入ってきません。
頭に場面思い浮かべて登場人物を空想するでしょ?
それが部分的にしか出来ません。この人の作品の場合。


どうもどの文芸誌に出すかによって作品の色がだいぶ違うみたい。
どろどろぐるぐる系とはまた一味違った…
それでも、例えば「スクールアタックシンドローム」は≪暴力の伝播≫がキーになってる、エグ系の話。
3人の高校生が623人を殺してしまったニュースとかが作中出てくる。


印象的だったのは、会話が時間を空けずに次々と展開するときは、改行なく「」がつづき、一呼吸置くところは通常の表記である「」の後に改行が来るところ。
あと、擬音。使い古された手法を使ってない。


楽家でも多いけれど、自らの脳内を手でgrabして、それをスライムを投げつけるような格好で「べちゃっ」と創作物にする人がいると思う。
ある種の天才。ただし、努力型の人もいるけれど。
理論伝統文化評価様式常識その他一切を抜きにして。


そうすると、その脳内直結の創作物は、ちょうどこんなかたちになる。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/B000AOGRXU/sr=8-21/qid=1212926946/ref=dp_image_text_0?ie=UTF8&n=561956&s=music&qid=1212926946&sr=8-21


綺麗か?って聴かれれば…微妙なんだろうね。
実際、三島由紀夫章の選考の過程で、


宮本輝氏は、「舞城氏のなかには、何か形にならない大きなエネルギーがくんずほぐれつなままとぐろを巻いている。しかしそれはいまのところ支離滅裂で、氏自身が持て余しているといった印象を受ける。そのようなエネルギーは、まだ人さまにお見せできるものではない、というのが私の意見である」


っていう意見があった。これは、このトマトを「汚いものだ」って見た解釈。
トマトを掃除して、ノートに綺麗な絵を書いたらまたおいで、って感じかな。
大いにありだと思う。


逆に、筒井康隆氏は
「こういう若い人の作品と共時性を持ったことは嬉しくもあり誇らしくもある」
なんて言っていらっしゃる。
(例えだけど)つぶれたトマトに対して、誇らしく思っている人もいる。


ごく平成的な作家に対しての、こうしたベテランの先生たちの対立する意見。
文芸賞って権威的な力関係が働く場だから一口にいえないけど、
2通りの考え方は結局その「ぶつけられたトマト」が綺麗か?って話だと思う。
しかも、そのトマトは何のことを言っているんだかわかんなかったりする。



僕はトマトには、ちょっと汚くても大きな可能性があると思う。
今は「ぶつけられたトマト」が作品になりうるはじめての時代だから、
評価が二分するのは当然のことなのかもしれない。


音楽の世界でも、ぶつけることが可能な時代になったのはいえる。。
DTMみてとったって、正直
「楽典」って何?「音階」ってドレミファソラシド以外あるの?「ベートーベン」って誰?
っていう極端な人が、それでも脳内の何かをそのまま「ぶつけて」曲にしてる。
センスか、直感、勘みたいなものを駆使して環境を利用して。
昭和までの「作曲家」からするとありえない。
身近でもそんな人何人もいて、名前を挙げられる。


でも、そこにあるのは、「可能性」と「するどさ」と「スピード感」だと思うね。


自分はなんかわりと頭のなかでこねくり回して、
ある程度考えてから曲にするタイプだから、そういうタイプではないんで、
応援したいんです。


今日は特に何を言っているのかわからないよね。
ところで、この本は面白いですがいきなりはお勧めできないです(笑)


最後に一考。
「みんな元気。」ってセリフは、戦争を彷彿とさせますね。
宇宙戦争」とかのラストシーンってこんなだ。