大乱闘スマッシュブラザーズX メインテーマ

スマブラ拳!!」から。

http://www.smashbros.com/jp/music/music10.html


作詞担当 桜井政博
訳詞  山下太郎
作曲担当 植松伸夫
編曲担当 酒井省吾
指揮 竹本泰蔵
ソプラノ 高橋織子
テノール 錦織健


曲も壮大ですが布陣が壮大すぎますね。
錦織さんは特に世界的に有名なテノール歌手です。
僕以前から名前知っていました。こんなところで名前を見るなんて!って感じです。
あ、植松さんも十分に世界に名が知られていますが。


作曲・編曲も、これだけ大規模になるとすっごく難しいでしょう。
複雑さも見て取れますし、これを為してしまう布陣はやはり滅茶苦茶すごいと思います。
歌詞がラテン語なのも、全世界にとって非母国語であるための世界戦略ですね。


…にもかかわらず、任天堂ゲームのベテランさんたちのなかには、この曲に対して違和感を覚えた人も少なくはないようです。あと、スマブラDXのメインテーマのほうがよかった!という人も。ここでなんとなーく原因を分析してみましょう。


ちなみに僕は大好きです。

声とゲーム音楽の融和性

どんな楽曲登録サイトにも「ゲームミュージック」っていう項目がありますが、
ゲームミュージックというジャンルのアイデンティティが、「ロック」や「ジャズ」や「ワールドミュージック」…など、「コレ!」とわかるジャンルと違って、非常に流動性のあるものなんじゃないでしょうか。(次に「クラシック」なんていうジャンルも意味不明度が高い。)


ゲーム音楽といえば、当然大昔は「ピコピコ系」だったわけです。(第1世代)
もちろん8bitの世界に声なんて入る余地なくて、
インストであることが当然だったわけです。
ちなみに、僕らの世代にとって、バッハも初代マリオ曲も「生まれた以前からある」という点で同じ古典ですからね、ある意味で。


次に、スーファミ世界くらい(第2世代)だったら、音色や和音に多様性が出てきたものの、
音がカクカクで、機械的なところ、midi的なところが特色だったわけです。
でもたとえば「星のカービィスーパーデラックス」で、メタナイトの逆襲をプレイしている限りは、音の制約なんて気づかないほどですけどね。
容量や使用可能パート数、同時発音数、使用可能音色(とくにパーカス)などの「枠内で作曲する」という心意気が、ジャンルとしての「ゲームミュージック」だったんじゃないでしょうか。


で、ゲームの高性能化と同時に、この「枠」がどんどん取っ払われていき、今の時代、少なくとも容量や使用可能パート数、同時発音数、使用可能音色による作曲の制限はほとんどないでしょう。(携帯ゲーム機だったらまだその枷は少し残っています。)


じゃあ、今の時代(第3世代)。
これぞゲームミュージック!と呼べる音楽はどこ?
真っ先に思い浮かぶのは、「昔のゲーム曲のアレンジ」じゃないでしょうか。
あるいは、第2世代風味の特徴を引き継いだ曲。
事実、スマブラの曲のほとんどはコレでできています。


しかし、ゲームのメインテーマ史を見てみましょう。
できるだけ僕が取り扱ったゲームで…
例えば、
第1世代:インベーダーやテトリスから、最初期マリオ・ゼルダパルテナなど
第2世代:スーパーデラックスやヨッシーアイランドが好例?
第3世代:FFCCFF12なんかは今日の説明にぴったし。


第1世代がスマブラで再現されてたりすると、歴史の重みをやっぱり感じますね。いいアレンジ×重みで、すごくいい曲になります。
第2世代では、制限つき多様性の例。ここでは1とあんまり分ける必要ないかもだけど。


ポイントこっから。
第3世代では、僕ら仲間内の用語で「加湿器」つまり、歌詞がついている音楽がだんだん多くなってきました。
CD出すような歌手が歌っていたり、オーケストラ演奏だったり…
これは新たな作曲でも、第1世代、第2世代のリミックスでも同じです。
FFなんかでは、わりと早くからこうした
メインテーマ→歌詞つき歌あり
それ以外→第2世代の特徴を引き継いだ曲
なんていう構図があったと思う。


で、ここでなんだけれど、Perfume初音ミク
ロボット→人間と人間→ロボットが相似だ、って話をしたけど…
http://d.hatena.ne.jp/Itcha/20080513#p1
いままで「ロボット」だった牙城に「人間」が来たらどうなりますか?
っていうストーリー。


慣れるまで馴染まないんじゃないかなーと思います。
PerfumeもJ-pop界と、どこか違うでしょう?
「人間」の牙城に「ロボットと人間のあいのこ」が来たからかもしれません。
「アイドル」という外見だけで終わってしまうとしたら、
それはJ-pop界とよくつながるけれども。でもそれだと残念。
そういえば、アルバムのタイトル、「Game」でしたね。
何か示唆してるのかも^^


とくにこの曲の、クラシック系の、オペラ的な使い方だと、
人間性」が強く出るので、なおさらかもしれません。
一応合ってるんだけど、どこか合ってない、任天堂ベテランさんの感覚の理由も、
声がなかなか「メインテーマ以外の音楽」まで進出してこない理由も、


第1世代、第2世代の上に今の「ゲームミュージック」枠がある以上、
そこに「人間」の存在がまだちょっと馴染んでいないから。


じゃないかなと思います。
Vocaloidなんかは、これを覆す可能性をもっているかもしれませんね。


まあ、ゲーム中いたるところで声が鳴っていたら大いに迷惑で、
「もうたくさん!」ってなるでしょうけどーw


ただし、とくに恋愛ゲーム等における「ボイス」もこの対立上にあるんですが、
もはや十分馴染んでますよね。(僕はフルボイスには抵抗があったりするが…)
これと同じでそういったゲームが出る可能性はあるかも。

フレーズへの制約

例えば、
スマブラDXで、最初のフレーズは、
「駆け上がり」でした。


今作は、「徐々に下がり」です。

どっちがインパクトあるか?
やっぱり「駆け上がり」だと思います。曲によるけど。
惹きこまれ度が圧倒的に高まります。


ここでも、「声」という性質上、DXのストリングスみたいに跳躍だらけの「駆け上がり」はできないんですよね。一番最後に跳躍があるんですが、
ちょっと跳躍した程度で、魂こめて歌うので、いきなり大興奮という自体が生じてしまいます。
そう、表面的なものでなくて、クラシック的に、じっくりじわじわ、っていう楽しみ方をしたほうがいいのかも。



「声」「人間」という制約上、最大限GameにFitした音楽でありそうだが、「声」「人間」と、ゲーム音楽は未だ少し馴染んでない状況であーる。
こんなところでしょうか。今のこの曲の立ち位置。


挙げた例以外にも指摘すべき点はたくさんあるかと思いますが。

今の「ゲームミュージック」の枠は誰が作るか

過去曲のリミックスか、第2世代までの特徴を有した曲が、今の「ゲームミュージック」とか言いました。


たとえばそれはこのスマブラがひとつ定義づけたようにも感じます。
さらにファイナルファンタジーシリーズやポケモンなど、シリーズ化された有力な作品が、
新しいスタイルを提示することで、「制約・枷」がなくなって幅が広くなった「ゲーム音楽」をつなぎとめているんじゃないかとも思います。
たくさんのゲーム音楽家がたくさんの「アレンジ」をしたことで、「アレンジ」の提案、あるいは方向性を示したという意味で、このゲームの「ゲーム音楽」に対する貢献は大きいと思います。


ただ、これでは創り手側が一方的に提示しているものだけがこのジャンルになってしまいます。聞き手側がも「ジャンルの枠決め」に参加しなければ。どれだけ売れたか、という指標(売れたゲームは曲がいい)なんていうのもひとつの要素でしょう。
さらに、広い意味でゲームミュージックを二次創作する、例えばDTM関係者などアマチュアの既存のゲーム音楽理解のうえでの「枠決め」も大切だと思います。


そういった一つ一つの要素があいまって今の「ゲームミュージック」ジャンルとは何か?を決めていると思いません?